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能術入門エッセイ:幸福とは、自分を満たすこと

世間一般から「成功した」と見られている人が、自分自身ではその状況に満足していない、ということがよくある。

「成功」は他人の評価であり、他人との比較にすぎない。お金にしても地位にしても、上を見たらきりがない世界だ。自分自身で成功を実感するのは難しい。

しかも、成功は死ぬまで続くとはかぎらない。成功しても満足を得られないのに、その成功すら失ってしまったら、とても耐えられないだろう。

たとえ成功の内に死んだとしても、心から満足することのないまま一生を終えるのは、なんと虚しいことか。

では、成功ではなく、自分が「満足」するには、何をすればよいのか。

「満足」というくらいで、自分を何かで「満たす」ことだ。

ひとつのことに没頭すること。

歴史や自然の謎に挑み、知識を極めること。

ものづくりの技術や芸術などの技を磨くこと。

自分を満たしている人は、自分のミッション(使命)を自分で設定している。

他人に与えられたミッションをクリアして評価されれば、それは「成功」にはつながるかもしれないが、必ずしも「満足」にはつながらない。

しかし、子供や新入社員などが、最初から自分のミッションを自分で設定するのは不可能に近い。たいていの仕事や勉強は、与えられたミッションをこなし、必要なスキルや知識を身につけることから始まる。やがて、自分からすすんでスキルや知識を高めたり、別のジャンルの仕事や勉強に挑戦したりする。そのような自発的な取り組みの結果として、「満足」を得ることができる。

子供は、家庭や学校、あるいは身近な社会の中で、与えられたミッションを自分なりに咀嚼し、自分自身のミッションに変えていく。教育とはそういうものだ。

大人にとっての仕事も同じこと。組織で働く人には、組織からのミッションが与えられるが、それとは別に自分なりのミッションを持っていいし、むしろ持つべきだ。

自分で自分を満足させている人は、幸福である。

成功は比較の問題なので、成功者しかいない組織や社会というものはありえない。成功者だけを集めて組織を作れば、その中でまた優劣がついて脱落者が出る。ビジネスセミナーなどで、「パレートの法則によると上位20%は…」とか「働きアリの下位2割は…」といった説教を聞かされてうんざりした人も多いと思うが、言っていることは、世の中には上位もいるし下位もいる、という当たり前のことにすぎない。そんな「法則」を真に受けて悩んだところで、自分の「順位」が上がるわけでもないし、まして幸福にはなれない。

一方、幸福な人がたくさんいる組織や社会なら存在しうる。幸福はその人自身の尺度で測るものだからだ。幸福に上下や優劣はない。他人を蹴落として不幸にしても幸福にはなれないし、逆に、自分が犠牲になれば誰かが幸福になるという考えも間違っている。

幸福は、与えられるものではない。まして、組織や社会が「これが幸福だ」という価値観を上から押しつけるのは危険なことだ。20世紀以降の日本は、みんなが同じ幸福を目指したあげく失敗し、そのトラウマから、他人の幸福を極端に妬む社会になってしまっている。立場の弱い者に対するハラスメントが後を絶たないが、その根底には「自分より成功順位の低い人間が、自分より幸福になることは認めない」という醜い性根がある。

幸福は他人と比較するものではない。もし他人が「自分より幸福」に見えるのなら、その人をいじめるのではなく、どうしたら幸福になれるのか、じっくり観察してみてはどうか。

幸福は、自分の力でつかむしかない。ただし、幸福になるための方法を学ぶことはできるし、幸福をつかむきっかけはどこにでもある。いろんなミッションに挑戦し、その中から自分なりのミッションを見出せばよいのだ。組織や社会のメンバーが、自発的に幸福を目指し、さらに、まわりの人も幸福になるよう手助けするようになれば、それはとても素晴らしいことだと思う。